考えは人それぞれ
普段は中古車の買取相場や株価の変動にしか興味のない私だが、今回の「都構想」について個人的に思うことはいくつかある。
・住民投票の「重み」
ひとつは、メリット・デメリットが明確でないまま、住民投票の結果で方針を決めるという方法に対する疑問である。もちろん「都構想」は、橋下氏が大阪府知事時代から主張し続けてきた政策であり、大阪維新の会もそれを目的のひとつとして誕生した。政策が作り上げられ、是非を問う時間としてはそれほど早急なものではない。
しかし、政策の中身はときに総花的なものであったり、周辺自治体や議会での合意形成も十分でなかったりと、「都構想」がより多くの理解、支持の拡大に必ずしもつながるものではなかった。政策実現の中央突破を図る政治スタイルが橋下・維新の会の持ち味であったとしても、意見の調整をおざなりにして自らの政策を実施させようとする姿勢には無理がある。政治には意見の集約・調整・妥協が付きもので、そのプロセスをどのようにうまく行うのかが、政治家の力量とでもいうべきものだからだ。
そういうなかで、政策そのものを有権者に丸投げしてしまった。投票結果からも明らかなように、支持3割・不支持3割・棄権3割で、有権者全体の態度としては、どうもはっきりしないものになっている。
住民投票は、ある意味において民主政治の基礎ではあるのだけれど、それは賛否がはっきりすることによってその決定に「重み」を与える効果がある。しかし、僅差での決定、しかも支持・不支持・棄権が拮抗するなかでの住民意思にどれだけの「重み」があるのか。かえって世論の分裂を招くことにならないか。これは住民投票の決定に関わった市、市議会にも責任があるように思われる。
・制度に依存した「改革」の功罪
もうひとつは、制度・システムに依存した「改革」に対する疑問である。「都構想」に限らず、近年の政治改革・行政改革は、省庁の再編、自治体の再編、組織内部の再編など、制度を変えることに重点が置かれてきた。それは確かに、組織内の合理化を促し、業務の効率化やコスト削減などの効果をもたらしたかもしれない。
ただ、行政改革が市民生活に大きな変化を与えたかといえば、それは別の話になる。もちろん、行政改革の結果、いまの生活を「維持する」レベルでの効果はあったかもしれない。しかし、中央省庁が再編されたから、郵政民営化が実現したから、市町村合併が進んだからといって、我々の暮らしが大きく変わったわけではない。
無論、制度やシステムの改編は有権者にとっても、「分かりやすい改革」として映る。既得権益を壊し、新たな制度を作って政策の公平性を担保しようとすること自体が悪いとは思わない。
しかし、その「改革」が制度や組織改編にとどまる限り、我々の暮らしに及ぶ影響は限定的である。政治家や政党が、「改革、改革」と盛り上がる一方で、有権者は白けているという構図が生まれるのも、それがどこか他人事のように見えてしまうからだろう。
今回の住民投票は関心が高く、投票率も上がったようだが、それでも3割強が棄権をした。政治家・政党と有権者の意識の距離は、まだまだ大きく開いているといえよう。
一方で、あまり目立たないものでも、市民生活に大きな影響を与える「改革」も存在する。その最たるものが「税制」だ。松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』(講談社選書メチエ、2013年)によれば、明治維新後の激変でも、自治体の設置・合併でも大きく変わらなかった地方の集落が、税制改革によって大きく変化したのだという。
それまで集落レベルで年貢の取り立てが行われていたものが、各戸がそれぞれ役所に税金を納めるかたちになったことで、地域の枠組みが根本的に変わった。有権者に「改革」を実感させるには、そうした身近なところへの訴えが欠かせないのではないか。
「都構想」も含めて、政治家・政党の「改革」に欠けている点は、そこにあるのかもしれない。
